学生の時に電波少年に憧れて国内ヒッチハイクしたらテレビに出た話

こんにちは。管理人のパピーゴです。

 

読んでくださるあなたにとって役に立つ情報を発信したい。

そんな想いで、日々の暮らしの中での学びなどを記事にしたりしています。

が、今回の記事は、管理人の管理人よる管理人のための、自己満足を目的とした記事です。

 

居酒屋で若かりし頃の武勇伝を語るおじちゃんと共通のノリで語ります。

決して、あなたの人生にとって何一つ直接的に役に立たない情報です。

約18000字とあり、読む所要時間は22分とあります。斜め読みするにしても、覚悟が必要です。

限られた1日の時間をより生産的に過ごしたい、効率的に情報収集されたいという方は、何も罪悪感を感じることなく「戻る」ボタンをクリックしてください。

 

それでも読んでやってもいいよ、という心優しい方は、どうぞスクロール進めて下さい。

 

タイトルの通り、大学4年生の時にやった国内ヒッチハイクの思い出について語っていこうと思います。

この記事を書くにきっかけは、数年ぶりにmixiのアカウントを開いたことです。

 

今や社会人12年目、二児の共働き家庭の父親、趣味でブログを始めて5ヶ月。

ブログで発信する内容は読み手の方(ペルソナは自分)にとって役に立つ情報を目指しています。

情報自体は完全コモディティー。キーワードさえ知れば、より良質なものが検索エンジンで上位表示される。

自分しかできないオンリーワンな情報発信はできないか。

そんな漠然とした問題意識を抱きながら、当時大学4年の時に書いたヒッチハイクの記事が目に止まりました。

  • 自分の体験のため覚えてしまう錯覚と分かっているが、素直に面白い。
  • 読んでいると当時を思い出す。心身が若返った気分になる。

当時のmixiの日記をそのままの状態で引用し、当時の日記の内容ややったことの解説、今思うことを実験的に記事にまとめてみようと思いました。

「過去のmixiの日記」そのまま引用できれば、楽に簡単に効率良く1記事書けちゃうんじゃない。ぶっちゃけの着想はでしたが、書きたいことがたくさんできてしまい収拾つかなくなりました。

パピーゴ

この記事を読んでこんな気づきやきっかけになれば嬉しいと思います。

  • 日記など、身の回りに起こったことをちゃんと記録する習慣付けると人生が豊になる
  • 10年以上前の日記など読み返すと当時気づかなかった新たな発見があるかもしれません
  • 更に、読み返すだけでなく、情報を整理する・気づきを書くことで更なる発見があるかもしれません

もし実はヒッチハイクをいつかやりたいと考えている。そのような方は、ヒッチハイクのコツなども記載していますので、参考にしていただければと思います。

それでは参りましょう。

 

目次(クリックすると自動で飛びます)

ヒッチハイクの旅の成果とハイライト

今から12年前の大学4年生の時に国内ヒッチハイクをしました。

当時のヒッチハイクの思い出を時系列で振り返る前に、管理人の当時近況とヒッチハイクの旅の成果とハイライトを紹介します。

当時の青春真っ盛りの管理人の近況

当時の管理人の近況ですが、以下のような感じです。

  • 大学4年生、卒業単位の取得状況もまずまず良好
  • 茨城県つくば市で一人暮らし
  • 住まいは大学から自転車5分くらいのボロアパート(家賃3万円)
  • 周りの友人も皆、大学近辺で一人暮らし
  • ど田舎で、周りに娯楽施設なし(夜はカラオケか、店飲みか、部屋の飲みか)
  • 希望していた会社から内定もらう
  • 入社後の配属・勤務地は未定(全国)
  • 付き合い始めた彼女がいる(今の奥さん)
  • 当時のブームで村上春樹ばっかり読んでいる、人は人、自分は自分。
  • バイトは牛丼屋の「⚪︎き家」、シフトは月2〜3未満とレアキャラ化

今振り返ってみれば、リア充偏差値55くらいのまずまずの大学生活でした。

 

ヒッチハイクの成果とハイライト

国内ヒッチハイクをしようと思ったきっかけは後段の説明に譲るとして、ヒッチハイクの旅の概略とハイライトをまずお伝えします。

 

つくばから京都をヒッチハイクして往復して、しかもテレビ出演を果たしました

 

主な行程

2008年

8月1日:つくばをチャリで出発(ママチャリの旅)

8月2日:犬吠埼で朝日を見る、つくばに帰還(ママチャリの旅)

8月9日:つくばを出発、東京都町田(実家)に到着(ヒッチハイクの旅1日目)

8月10日:実家で買い物・情報収集して過ごす1日過ごす(ヒッチハイクの旅2日目)

8月11日:町田を出発、愛知県安城(友人宅)に到着(ヒッチハイクの旅3日目)

8月12日:名古屋観光(名古屋城、トヨタ博物館)(ヒッチハイクの旅4日目)

8月13日:名古屋安城を出発、大阪(友人宅)に到着(ヒッチハイクの旅5日目)

8月14日:大阪観光中テレビ取材を受ける、漫喫で宿泊(ヒッチハイクの旅6日目)

8月15日:甲子園・京都観光、パーキングエリアの野宿(ヒッチハイクの旅7日目)

8月16日:京都を出発、町田に到着(ヒッチハイクの旅8日目)

8月21日:つくばに戻る(その後)

ヒッチハイクの旅の前哨戦:ママチャリの旅

ヒッチハイクの旅に入る前にまずは、前哨戦にあたる「ママチャリの旅」について触れなければなりません。

こちらがヒッチハイク前日に書いたmixiの日記です。

 

ヒッチハイクの旅から1週間前のmixi日記:ママチャリの旅の記録

「前の旅、そして次の旅」2008年8月8日15:31 (mixi日記より)

ママチャリの旅から一週間経ちました。

 

先週の金曜の夕方、つくばを発ち千葉の犬吠埼を目指して一晩中チャリをこぎました。

犬吠埼からみえる朝日が本州で一番早く見える朝日だと聞いてというのがきまぐれの旅の動機でした。

 

十時間近くチャリを飛ばして朝の4時くらいに目的地にたどり着きました。

多少曇っていましたが、景色は素晴らしかった。

朝日をみてこれまで味わったことのない感動がありました。

 

朝日を見終わった後、近くの駅で2時間ほど仮眠を取りました。

その後次なる目的地の館山を目指しました。

 

南を目指して自転車をこぐこと4時間。自分が進んだ距離と地図の館山の位置を確認して絶望することになりました。

一日で館山に着くのは出来ないと悟った自分は、名誉ある撤退を思いつきました。

目指す先を南方から北方に。

地図を見ると20キロ近くのところに成田国際空港があるとか。

とりあえずそこで飛行機でも見物して、つくばに帰ろうと考える。

 

二時間近くこいで空港に着き、チャリで空港内に進入に成功する。

空港内を不自然にもママチャリで移動し、ターミナルまでたどり着く。

そこでひらめく、成田からつくばまで出ている路線バスに乗って帰ろうと。

 

チャリをラップし、チャリとともにバスに乗せてもらうことに成功する。

バスで成田を発ったのが夕方4時ごろ。そして筑波に着いたのが6時。

 

旅の期間はだいたい24時間。

チャリで移動した距離は180キロ。

かけたお金は約5000円。

 

無計画のわりには充実した旅となりました。

たぶん明日からまた旅に出ます。ヒッチハイクの旅に出ると思います。

 

まずつくばから東京の実家まではヒッチハイクで。

資金確保してから、とりあえず一度も行ったことのない京都を目指します。

 

基本野宿で過ごすつもりです。寄生虫の人で泊まる場所を提供してくれる人募集してます(笑)

※1・2枚目の写真は犬吠埼で取った写真です。3枚目はラップされた自転車の写真です。ラップで800円取られました。

当時を振り返ってこれだけでも、頭のおかしな大学生ぶり満載ですが、できるだけ丁寧に振り返ってみます。

振り返るポイントは次の4点です。

  • 「ママチャリの旅」とは一体何だったのか?
  • 「ママチャリの旅」の全体像は?
  • 「ママチャリの旅」がどうヒッチハイクに繋がっているのか?
  • 今振り返っての当時の感動や未だにはっきり覚えていることは?

 

「ママチャリの旅」とは何だったのか?なぜこんなことをしたのか?

一生懸命当時の思考回路を追いますが、「暇だった」ことと「武勇伝作りをしたい」に尽きると思います。

当時大学4年生の夏休みで暇を持て余してました。

同級生の友人は海外旅行やら帰省やらで不在にしており、とにかく暇。

かといって遊ぶお金もない。

暇、暇、暇。

一人暮らしで部屋にいても退屈なので、大学のパソコン室に用もなく行っては、mixiしたりネットサーフィングしたり暇つぶししてました。あと、大学のパソコン室なら誰かに会える。

 

今でもはっきり覚えているのですが、大学のパソコン室でネットサーフィングしている時に、たまたま「犬吠埼」について知りました。本州で最初に朝日を拝める場所と。確か、15時を過ぎたくらいだったと思います。

「今から自転車漕いで行けば明日の朝日は見えるはず」

として、Google マップで犬吠埼までを調べました。

霞ヶ浦の南を通って、利根川に沿って太平洋を目指すというざっくりとした地図を頭に入れます。

そして、家賃3万円のボロアパートに一度帰り、最低限の荷物をリュックに詰め、旅に出ます。

 

ここからは、ひたすら自転車を漕ぐ、そして定期的にガラケーezwebで位置情報を確認するの繰り返しです。

しかも夜通しで。

 

「ママチャリの旅」の全体像

思いつき、気まぐれ、無計画の旅でしたが、要点をまとめると次の通りです。

  • 茨城県つくばから千葉県犬吠埼まで一晩チャリを漕いで朝日を見る
  • 房総半島一周を試みるも、途中挫折
  • なぜかチャリを乗せて成田空港からの路線バスでつくばに帰る

今更ながら地図で示すと次の通りです。

Google Mapよりおおよそのルートをメモしてみました。

成田空港からつくばまでの路線バスのルートもちゃんと示せればよかったのですが、生憎現在コロナの影響で路線バスが営業停止しているみたいで、調べられませんでした。

 

「ママチャリの旅」・か・ら・の・「ヒッチハイクの旅」

だいぶ、「ママチャリの旅」を振り返るだけでも、本題から逸れてしまいますが、ちょっと話を戻します。

「ヒッチハイクをしよう!」と思ったきっかけは、紛れもなくこの「ママチャリの旅」でした。

 

一晩中ぶっ通しで自転車を漕ぐ中で、色々なことについて考えを巡らせました。

今となれば細かく覚えていませんが、当時の頭の中を列挙するとこんな感じです。

  • 来年から社会人やっていけるだろうか?
  • 学生のうちやり残したことはないか?
  • 彼女と遠距離恋愛となっても大丈夫だろうか?
  • 就職先全国勤務だけど、本当によかったのかな?
  • 今月の生活費足りないから、親に相談しないと。
  • 卒論のテーマ何にしようか?
  • そもそもこんなことせず卒論を前に進めた方が良いのではないか?
  • この旅をmixiに書いたらみんなコメントしてくれるかな?
  • 大学最後の夏もう少し計画的に過ごせばよかったかな?
  • 犬吠埼、日の出までに間に合うか?
  • 犬吠埼着いたら何しようか?
  • 体動かしていると意外に眠くならない。

12時間近く脈略もなく自問自答が続きました。

「学生のうちやりのことしたことはないか?」

自問自答した思考の中から次のような形で「ヒッチハイク」の発想に至りました。

「学生のうちにやり残したこと」から「ヒッチハイク」までの思考過程
  • 旅かな
  • 海外旅行?…いや、金がない。
  • 国内旅行?…いや、金がない。
  • 貧乏旅か。
  • 青春18切符とか?なんかワクワク感がない。電車乗るだけはつまらなさそう。
  • 多少泥臭くてもスリルとワクワク感があるといいな。
  • 泥臭いといえば、昔やっていたバラエティー番組で、ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断するという企画をやってたな。
  • そう、電波少年と猿岩石。
  • あれ、しんどそうだったけど、カッコよかった(当時小学生低学年の感想)
  • 海外でヒッチハイク…海外行くの金かかる。危険そう。
  • 国内でヒッチハイク…お手頃で直ぐにでもできそう。
  • 来週実家に帰りがてらしてみるか。
  • つくば(茨城)と町田(東京)だと面白くない。
  • 国内でどこ行こうか、多少遠くで、行ったことがないとこがいいな
  • そうだ、京都に行こう

当時はもっとたくさん、新鮮なものが沢山あったんだと思います。

10年も経ってだいぶ頭の中で発酵している部分もありますが、一晩中自転車を漕ぎながら考えた結果、国内ヒッチハイクに行こうとの着想に至りました。

 

「ママチャリの旅」で感じたことを12年経った今を呼び起こす

当時の日記を読みながら、当時のママチャリの旅の記憶が過ぎりました。

日記には書いていませんが、24時間という凝縮された時間の中にいろんな感動や刺激がありました。

そしてそれを今でもはっきり覚えています。

  • 自転車の夜間の移動で、街灯もなく、頼るのは自転車のライトのみで怖かったこと。2回ほど道から外れ、森林にコースアウトしそうになったこと。
  • 鹿島の工場地帯の夜景が綺麗で感動したこと(ネットで調べましたがデートスポットにもなっているようです)
  • 犬吠埼まで日の出時刻までに間に合わない?!と3・4時ごろからペースアップを図ったこと。
  • 犬吠埼では蚊がやたらいて、日の出を拝する感動が半減したこと。
  • 日出が見れた達成感のあと急に眠気が襲ったこと。人目を気にしながら近くの駅のベンチで仮眠をとったこと。
  • 1時間くらい仮眠後をとってスッキリしたあと、このまま帰りたくないという気分で、新しい目的地として館山(房総半島の最南端)を目指すと決めたこと
  • その後ひたすら海沿いを走る。最初は気持ち良かったが、似たような景色で飽きたこと。
  • 昼近くになり進んだ距離から概算して、あと館山まで丸2日はかかりそうと悟り、意外にあっさり「もういいかな」という気分になったこと。
  • 成田空港の中で、自転車も路線バスに荷物として載せても良いと知ったときの感動とその後一気に疲れが襲ってきたこと。
  • 無事にバスに乗って数分で爆睡、気がついたら「つくばセンター」に着いていたこと。

もう少し当時掘り下げて色々書いても良かったのに思う一方、今でも当時の記憶について全然書けてしまうということに驚き。

昨日の夕飯何を食べたかすら思い出すのがしんどいのに、10年以上前の出来事ははっきり思い出せる。

人の記憶って面白いと改めて思います。

まだ本題に入っていないのに1万字近く書いてしまった汗

パピーゴ

 

ヒッチハイクの旅1・2日目|俺らヒッチハイクで東京さ行ぐだ

パピーゴ

ここまででもずいぶん長くなってしまいましたが、いよいよ本題のヒッチハイク初日目からです。行ってみましょう♪ 

 

ヒッチハイクの旅1・2日目のmixi日記

「ヒッチハイクの旅1-2nd day」2008年8月10日23:10(mixi日記より)

昨日ヒッチハイクの旅を始めました。

 

昨日はつくばから東京の実家に、今日は実家で一日まったり、そして明日から関西に向かうつもりです。

 

一応今回の旅の目的地は京都ということになってます。

 

16日に大文字(山に「大」という字の火を起こす京都のお祭り)があるということで、それが旅の目的ということになってます。

 

ただ何よりもこの旅に踏み切るに至った動機は、とりあえずヒッチハイクというものをしてみたいというものでした。

 

昔電波少年というバラエティー番組でユーラシアを横断するという企画がありましたが、そうしたもの昔から憧れがありました。

 

今年の夏休みは学生のうちでないと決してできないことというものを積極的にやっていこうと決めてました。

 

そこでその考えとかつての憧れが結びつきこの旅に踏み切ったわけです。

 

今日は実家でまったりなのでまったくヒッチハイク活動はしませんでしたが、昨日はヒッチハイクを満喫しました。

 

つくば(国道408号沿い)から東京の芝公園(東京タワー付近)まで3台乗り継ぎました。

そこから都内の実家までは電車を使いましたが・・・。

運賃で言うと1300円近く節約しました(笑)

 

ヒッチハイクをしてて感じたのが、「恥じを捨てなければやってられない」ということでした。

ヒッチハイクを始めた最初の5分が特に恥ずかしかった。

 

想像してみてください。

道路わきで東京方面って書いたボード抱えて、右手はグーしてドライバーたちに微笑みかける己の姿を。

走り去るドライバーたちもこちらに注目します。

いろんな反応してくれるドライバーがいて、微笑み返す人、憐れむ人、応援してくれる人、とりあえず自分は晒し者になっているんだなということを痛感します。

けれどもこの恥ずかしいという感情をしばらく慣れると麻痺します。

 

開始して7分ほどで一台目が捕まりました。

一度通り過ぎてわざわざUターンして拾ってくれました。

子供を病院に連れて帰る途中のお父さんで、近くの高速道路の入り口付近に連れて行ってくれるとのことになりました。

こんな感じでヒッチハイクは進みます。

 

一台目は数分で済んだものの、二台目は一時間半近くかかりました。

けれど20代後半くらいの兄ちゃんが拾ってくれました。

そのドライバーの方も昔ヒッチハイカーだったらしく、そこでは捕まらないだろうと思うからということで他の高速道路の入り口まで運んでくれました。

その人は帰宅途中で、特に急ぎの用がないということでわざわさ自分のために寄り道をしてヒッチハイクしやすい場所に運んでくれました。

 

高速道路の入り口付近に落としてもらい、5分以内にまたつかまりました。

東京住まいの老夫婦でその日は霞ヶ浦までドライブしに着て、その帰りとのことだったようです。

1時間以上車内でお世話になり、都内に着きました。

 

こんな感じでヒッチハイク初日は終わりました。

 

明日の朝町田の実家を発ちます。

東名高速に乗り愛知に行く車を頑張って乗り継ぐつもりです。

 

あしたはお友達の実家に泊めてもらいます。

 

ホントこの旅は人の優しさで成り立っていく旅なんだなと実感します。

そうした感謝の気持ちを忘れずに、安全第一で明日以降も旅を続けて行きます。

 

あと、あさってからのことは未定です。誰か近畿西部にいる人で泊めてくれる人募集中です!!

以上がヒッチハイク初日と2日目の当時の日記でした。

ここから当時の記録からできるだけ丁寧に振り返ってみます。

 

ヒッチハイク初日の行程を解説

さて、ヒッチハイク初日の移動ですが、地図に示すと次の通りになります。

初日は3台乗せてもらいました。

高速道路に乗るまでに2台、3台目にして一気に都内入りを果たせました。

 

芝公園(東京)から実家(東京町田)までの移動は電車を使いました。

これくらいは反則かもしれませんが、ご容赦ください。

 

なお、2日目は実家で過ごしたので、全くヒッチハイクでの移動をしていません。

スケッチブックを買ったり、京都の観光スポットなど調べてました。

 

ヒッチハイク初日に感じたことを12年経った今を呼び起こす

ヒッチハイク初日の今でもはっきり覚えている印象はこの 3点です。

  • 最高に恥ずかしかった
  • ヒッチハイクの場所選びは重要
  • 恥ずかしいという感覚は麻痺するもの

 

1つ目に恥ずかしいという感情です。

日記の文中にも書いている通り鮮明に覚えています。

結構、ドライバーの方と目が合うんですよ。

「乗せられないけど、応援しているよ」と言わんとばかりに微笑んでくれる方もいれば、冷たい視線の方もいました。

 

良くテレビとかで見る「まま、あの人何しているのかな」「変な人、見ちゃダメ」のにも遭遇しました。

本当に凹みます。

 

2つ目に場所選びの重要性です。

ヒッチハイクで車を捕まえるのにかかった時間は1台目が5分、2台目が1時間半、3台目が7分です。

交通量が多いこと、車が停まりやすいところでやるのが捕まえるコツです。

2台目で時間がかかったのは、見通しも良くなく車が停まりにくい場所だったからだと思います。

親切なヒッチハイク経験済のお兄さんが、見かねて拾ってくれるほど、場所選びが悪かったのだと思います。

 

3つ目に恥ずかしい感情も麻痺して慣れるということです。

1時間半捕まらなかった2台目のときにだいぶ精神的に鍛え上げられました。

冷たい視線、ガン無視も気になりません。

「ピエロで結構」

子供が手を振ってくれた時は、最大限大げさに手を振るなどしてました。

ブラック企業の新人研修で街中で名刺交換を見かけますが、個人的には同じ趣旨であれば「ヒッチハイク」を推したい。

ヒッチハイクで準備したもの、準備すれば良かったもの

もしかしたら、この日記を読まれて、ヒッチハイク試してみたいなという方もいらっしゃるかもしれません。

ヒッチハイクにあたって準備したもの、後に準備すればよかったものを紹介します。

 

この旅は本当に身軽な旅で準備したものは以下のみでした。元々旅には必要最低限なものしか、持っていかない主義なので、あまり参考にならないかもしれません。

  • 着替えの服(Tシャツ、下着の着替え1週間分、タオル)
  • A3サイズのスケッチブック
  • マッキー
  • リュックサック

 

A 3サイズのスケッチブックに至っては、2日目に実家の近くの文房具屋で調達してます。

初日は、日記の文中に掲載している段ボール紙に書いていました。

一方、旅の途中に持っていればよかったと思ったものは以下 3点でした

  • 日焼け止め
  • 帽子
  • 虫刺されかゆみ止め

夏のヒッチハイクをなめていました。

炎天下で1・2時間辛抱強く乗せてくれる車を待つことになります。

熱中症対策のため、最低限帽子は持っていきましょう。

あと、日焼け止めも。

 

旅で本当に日焼けしました。

詳しくは、7・8日目の日記で記載ありますが、日焼け酷くて外国人だと思われといったことにも遭遇しました。

日焼け止めは塗っときましょう。

 

あと、旅を通して我慢しましたが、虫刺されかゆみ止めも必須です。

ヒッチハイク の旅3・4日目|ワゴン・二輪・トラック・セダンを乗り継ぎ名古屋へ

パピーゴ

いよいよ東京から西に旅立ちます。

ヒッチハイク3・4日目のmixi日記

「ヒッチハイクの旅3-4thday」2008年8月13日00:46(mixi日記より)

長くて辛い道のりでしたが昨晩無事に愛知に着きました。

 

昨日の朝は8時半には実家を出発しました。親に東名高速のインター付近で下ろしてもらい、適当な場所を見つけヒッチハイク開始。

 

そして待つこと約2時間。

 

中型トラックの兄ちゃんが停まってくれる。東名に入って海老名SAにまでなら乗っけて行ってくれるとのこと。

なんとか二時間かけて東名高速に侵入成功。

乗せてくれた兄ちゃんはすごい感じのいい人で、社会人2年目らしく、大卒で普通に会社に入社して気がついたらトラック運転させられてたそうだ。

後ろには普段ドーナツを積んでるらしく、もし積んでいたらドーナツをくれるとのことだったが、あいにくその日はドーナツを積んでなかった。

 

海老名に着き、またサービスエーリア内でヒッチハイク開始。

簡単につかまると思いきやなかなか捕まらない。

乗用車は家族かカップルばっかり、トラックはアイドリングしながら運転手さん寝てる。

そんな中踏ん張るとこ1時間、一台の大型二輪車が停まる。

次のとこまで乗せてってくれることになる。

初めてバイク2人乗り、しかも高速で。

さすがにバイクでは移動中の会話は出来なかった。

後ろにかなり気を使ってくれて80キロとあまり飛ばさず、ただそれでも空気抵抗が相当あり、気持ち良かったが落ちないよう必死だった。

次の20キロほど先の中井PAまで乗っけていってもらった。

着くとジュースをおごってもらいしばらく会話した。

その兄ちゃんは社会人1年目らしく普段運送業で働いているらしく、お盆の墓参りに行く途中だったらしい。

名古屋だったら関西の方のナンバープレートのトラックの兄ちゃんに乗っけてもらうのが一番いいというアドバイスをもらった。

 

中井からのヒッチハイクも捕まえるのに一時間半の時間を要した。

トラックのおじさん。次のインターで降りるらしく、その手前の足柄SAでおろしてくれとのことだった。

大型トラックでコピー機を運んでいるとことか。普段のお仕事の話などしてくれた。

 

足柄に着いたときには2時をまわっていた。ヒッチハイクを初めて6時間、進んだ距離は50キロにも満たない。

目的地にはまだ200キロ以上ある。

今日中に愛知に入るのは絶望的かぁと焦りながらひたすらヒッチハイクをした。

孤独・不安・疲れ・猛暑の中2時間近く粘る。

 

そして一台の車が停まってくれた。

乗っけてくれたのは仲が良さそうな夫婦で山口の実家まで行くつもりらしかった。

目的地が200キロ先にある岡崎ICの手前の美合PAだと話たら快く乗っけてくれた。

お二方ともこの変なヒッチハイクハイクをする若者に興味を持ってくれたらしく会話は弾んだ。

旦那さんの方はつくばによくドライブするらしく、つくばネタでも盛り上がった。

そうして3時間ほどあっというまに経ち目的地の美合にたどり着いた。

 

美合からは岡崎ICで降りる車をヒッチハイクしようとしたが、それよりは網越えして高速を脱出した方がいいと考え係員に見つからぬよう脱出する。

一般の道にでて、晩お世話になる予定の友人に連絡する。車で迎えに来てくれるというので迎えにに来てもらう。

その晩は予定通り友人M宅に泊めてもらう。そして予定を変更しあともう一日泊めてもらうことになる。

そして今日、もう一泊愛知で過ごせることを良いことに1日名古屋観光する。主に行った場所は名古屋城とトヨタの博物館。名古屋までの行き帰りは、公共交通機関を利用しました。やっぱり便利だね、電車って。

34日目の旅はこんな感じでした。

 

明日から大阪を目指します。どんな出会いがあるか楽しみです♪

 

以上が、ヒッチハイク 3日目と4日目の当時の日記でした。

当時の記録からできるだけ丁寧に振り返ってみます。

 

ヒッチハイク 3・4日目の行程を解説

さて、ヒッチハイク3日目の移動ですが、毎度の地図に示すと次の通りになります。

3日目は4台乗せてもらいました。

特徴はワゴン車、トラック、二輪、セダンの4車種を効率良くコンプリートして友人の住んでいる愛知県入りしました。

 

4日目は名古屋を効率良く観光するため、JR東海道線を使いました。

 

ヒッチハイク3・4日目に感じたことを12年経った今を呼び起こす

今振り返っても、刺激たっぷりの東海道移動でした。

まず、乗せてくれた方々、本当にみんな優しかった。本当に一瞬の出会いだったけれども、12年経った今の会話した内容など覚えている。

特に来年から社会人になる時分、お仕事の内容などとても面白かった。

あと、印象的だったのが、最後に乗せてもらったご夫婦。

確か、日記には書いてないけど、二人とも学校の先生ということだったと記憶している。本当に仲の良い夫婦で、自分のその当時付き合っていた彼女と、将来こういう関係を築きたいと強く思った。

 

旅を通して本当に悔やまれるのは、連絡先を交換しなかったこと。

一期一会。

どこかでまたお会いできる機会があれば、改めてお礼を言いたい。

 

【コラム②】スケッチブック活用と高速道路SA・PAに関するコツ

日記の中でスケッチブックの写真と東名高速内のSA・PAに関して記載に関連して、私が学んだヒッチハイクのコツについて2点お伝えします。

 

一つ目は、スケッチブックの使い方です。

スケッチブックに目的を書いて、運が良ければ目的地に向かう車に拾ってもらえます。

出来る限り乗せる側の心理的なハードルを下げるよう配慮必要です。

「方角は一緒なんだけど、目的が手前もしくは先」

といった理由で、スルーされてしまうのはもったいない。

 

そこで、「上り方面」「下り方面」「最寄りSA・PA」など方向だけ書くことをお勧めします。

特におすすめは「次のSAまでお願いします」。

この方法でできるだけ方向が一緒な車に拾ってもらい、前に進むことを意識しましょう。

 

2つ目は、高速道路SA・PAの名前の事前確認です。

これは重要ですが、その日目的地までに通過するSA・PA名は頭に入れておきましょう。

基本的にヒッチハイカーを載せてくれる人は、経験上土地勘があります。

開口一番、「XX(SA・PA名)までなら乗せられる」と声を掛けてくれます。

スムーズなコミュニケーションのためにも、地理関係は押さえておきましょう。

 

SA・PAには必ず案内地図があるので、水分補給がてら、確認するようにしましょう。

 

ヒッチハイクの旅5・6日目|大阪到着、そしたらテレビに出演することに?!

パピーゴ

夢だった電波少年の猿岩石に一歩近づきました!!

ヒッチハイク5・6日目のmixi日記

「ヒッチハイクの旅5-6thday」2008年8月14日23:53(mixi日記より)

昨日無事に愛知から大阪に着きました。

 

5日目の朝10時半ころ愛知の友人M宅を出発しました。

友人Mに車で伊勢湾自動車道の豊明ICの入り口付近まで送ってもらいました。

 

11時ごろ豊明IC付近にてヒッチハイク開始。

ヒッチハイクの移動3日目となるともうまったく恥ずかしいという感情は麻痺しているのだろうか。直射日光と蒸し暑さを除けばまったく辛さは感じなかった。

一時間ほどするとようやく前方の車の助手席あたりからお声がかかる。

どこに行きたいのと聞かれとりあえず大阪を目指しているけど西の方に進むならどこにでも乗っけてくださいと頼み交渉成立。

乗っけてくれたのは若くて仲のよいカップルで豊明IC付近に住んでいて帰宅途中らしい。西の方に行く予定はもともと無かったらしいけど、「ドライブ」と言ってヒッチハイクに全面的に協力してくださいました。

ありがたや。

 

豊明ICから向かったのは、伊勢湾岸自動車道の湾岸長島PA一般道からでもPAの施設に簡単に入れるということからそこに連れて行ってくれました。車内では愛知の地理の話、甲子園の話などしました。

乗せてもらうこと約30分、目的地のPA付近に着き、無事に高速道路内に進入することに成功しました。

 

湾岸長島PAでは幸いにも30分程度で次の車が捕まりました。

次は子連れのお父さんで、伊勢より南方の実家に向かっているとかでした。

子供は小学校中学年くらいの子でずっと漫画を読んでいました。お父さんとは20分くらいの短い間でしたが旅の趣旨や地理のことについて話しました。

 

降ろしてもらったのが亀山PA、この先に亀山JCTがあり伊勢南部への道と大阪に向かう道に分かれています。

そこでまたヒッチハイクを再開。

初めて1時間近くで一台の軽自動車が停まってくれました。

 

ドライバーの方は60代半ばのおじさんで、大阪の吹田に向かっている人でした。

息子さんが大阪で大学生をやっているのと、母校が甲子園出場してて応援しにいくということで大阪に向かっているとのことでした。

アメリカ時代の友達の友人Kさんの実家が新大阪近くにあって、その日の目的地がそこだったので、吹田まで乗っけてくださいと頼むと乗っけてくれました。百数十キロ、約2時間くらい乗っけてもらうことになりました。

まず甲子園の話から始まって、そこでおじさんの母校が慶応義塾であるとともに慶応大を卒業していることが発覚。

定年退職されていてその前は大手総合商社I社に勤務されていたとか。

話もとても新鮮で大学時代(かつて一ドル360円だったころ)にした欧州旅行の話や、愛知県民の某赤いメガバンクに対する駄目出し、大阪人のビジネスにおける特徴などといった話。

とりあえず社会勉強になりました(笑)

 

そんな感じで3台を乗り継ぎ愛知から大阪までたどり着く。

その晩は数ヶ月ぶりに友人Kさんに再開し、彼の実家でたこ焼きをご馳走になる。

たこ焼きの焼き板が欲しいと思えた。

 

6日目、今日は一日中大阪観光に費やした。友人Kさんのご家族に別れを告げ、ひたすら南に歩くことにする。

梅田、適塾、大阪城、道頓堀、通天閣は見ておこうと思い。

 

ちょうど梅田付近で地図を広げて適塾、大阪城を目指して歩いている時だった。知らない人たちに声をかけられた。

振り向いてみるとカメラと大きなマイクを担いでいる人とその他3・4人。

大阪で道案内をしてあげようという趣旨の企画の番組の撮影らしく、地図を広げていた自分が真っ先にその餌食になってしまったということでしょうか。

どこに行きたいのか聞かれて、歩いて大阪城と答えるとびっくりされました。

電車で行けば数分のところこんな真夏日の中無謀だとでも思われたのでしょうか。

身分を聞かれ、学生、大学名までしゃべらされてしまいました。

どこから来たのか聞かれたので、茨城、調子にのってヒッチハイクで来た旨伝えてしまいました。

ヒッチハイクについていろいろ質問され、ヒッチハイクに使っている目的を書いているスケッチブックまでサービスして見せてしまいました。

 

こんな感じで道を案内が終わり撮影が終わると、テレビの人たちの中の一人が名前と連絡先を教えてほしいということと、撮影の模様をテレビの放映して良いかの意向確認、あと大阪城までついたら写メを送ってほしいと頼まれました。

断る理由も特にみつからなかったので、オッケーしました。

 

毎日放送のチチンプイプイという番組で、今日の模様を来週の火曜日に放送予定です。

初のTVデビューということで、自分がどう映っているのか気になるところですが、関西エリア限定の放送なので見ることはできないでしょう。

残念と感じる一方、安心してます。

 

その後、大阪城でちゃんと自分と大阪城が映っている写真をとりました。

自分の携帯で自分写して記念写真は痛々しい。ヒッチハイクで鍛えられたせいか人前でためらいも無く撮ってましたが。

 

写メをもらった名刺に書いてあるアドレスに送りました。

そうすると、さらに注文がその後の旅の写真もよかったら送ってくださいと。

嫌だと理由つけて断るのも面倒だし、それにいろんな人の善意に甘えて成り立っている旅でそんなケチなことはできないなと感じオッケーしました。

 

明日から積極的に自分が写る記念写真を撮っていきたいと思います。

せっかく撮ったのだから記念にmixiにもアップします。

ちなみに3番目の写真が例の写メです。これテレビに流されるって・・・(笑)

以上が、ヒッチハイク 3日目と4日目の当時の日記でした。

当時の記録からできるだけ丁寧に振り返ってみます。

 

ヒッチハイク 5・6日目の行程を解説

さて、ヒッチハイク5・6日目の移動ですが、毎度の地図に示すと次の通りになります。

5日目は4台乗せてもらいました。

また大阪市内観光中にテレビの人に「大阪城まで歩くこと」について突っ込まれます。

たしかに梅田から大阪城は徒歩ではしんどい。

Googleマップでは50分以上かかると表示されており、ツッコミどころ満載だったのでしょう。

なお、その日は、新大阪付近の友人Kのご実家から歩いていることもあり、大阪城までの徒歩所要時間は下のスクショが示すよう1時間半だったようです。

 

テレビに出演したことについて詳しく解説

ここでたまたまで突然だったテレビ出演について詳しく解説しようと思います。

 

出演したテレビ番組:ちちんぷいぷいとは?

関西エリアにお住まいの方はご存知かもしれませんが、平日午後にやっている情報番組です。

「ぷいぷい」という通称で慣れ親しまれているようです。

 

放映までのスケジュールとテレビ局とのやり取り

当時のテレビ局のスタッフの方とのやり取りですが、受信したメールのみバックアップが取れてました。

日記からはよくわかりませんが、その後のテレビ局の方とやり取りも簡単に整理しました。

 

当時は何も感じませんが、土日問わず、もの夜遅くまで働いていらっしゃったんですね。

本当に一学生のために、ここまで入念にやっていただいて脱帽です。

 

取材から放送までのスケジュール

8月14日 (木) 取材を受ける、当日の大阪城の写真を送る

8月16日(土)甲子園・京都観光の写真を送る

8月17日(日)放送前に旅の状況聞きたいということで電話アポがセットされる

8月19日(火)放送前に電話で旅の状況を聞かれる、放映

 

結局放映されたものは見ていないけどちゃんと記録残ってました

残念ながら関西ローカル番組ということもあって、結局放映されているものを見ることができませんでした。

ネット上に何か残っていないかなと検索かけたところ、なんと残ってました!!

個人ブログで放送の様子が記載されています。以下がブログのスクリンショットです。

出典:https://ameblo.jp/kosodate-taratara/entry-10129440546.html「ちちんぷいぷい」関西以外の人々・人権CMのロザン|”正解なんてあるのかな〜?」

そうそう、こんなやり取りしたと今思い出しました。

パピーゴ

この個人ブログサイト自体、更新が途絶えており管理人の「ももみんさん」には連絡取れませんが、本当にありがたい限りです。青春の一ページを記録してくださりありがとうございます!

 

ヒッチハイク5・6日目に感じたことを12年経った今を呼び起こす

3日目同様、本当に一期一会で、今となっても感謝の限りです。

 

特にその日最初に乗せてくれた若いカップル。本当に親身になって、大阪まで行きたい私の我がままに付き合っていただきました。

本当にいい人でした。

日記への記載は割愛していますが、一番印象的だったのが、乗せていただく前。

路肩から見てとてもイチャイチャされていたので、「いいな」と思っていた矢先、乗せてもらうことになったので、変な心境だったことを覚えています。

 

あとは、亀山PAから大阪まで乗せてくださった元総合商社のおじさん。

最初の印象がとても、「何をしてるんだ?」「名乗れ?」「所属は?」と余白のない投げかけで、こっちも「はい、ヒッチハイクしてます!」「○○大学○○学部4年生です!」「来年は社会人です!メーカーです!」みたいな会話で緊張したのを覚えています。

ただ、それは初対面だけで、本当に話が面白かった。グローバルなビジネスのお話を聞いて、ますます翌年から社会人になることに心が踊りました。

 

【コラム③】PA/SAでの凡ミス

湾岸長島SAでは車を捕まえるまでに30分要しましたが、ちょっとした凡ミスを犯しています。

親切な若いカップルの方に一般道からSAの入り口まで連れて行ってもらいました。

ミスは、下り方面で車を探すべきところ、ずっと上り方面で探してました。

 

20分近くヒッチハイクポーズやっていたところ、親切なおじさんに「君それ逆」と言われ気づきました。

ヒッチハイクで高速道路のSA・PAを使う時は、くれぐれも上り下りを間違えないようにご注意ください。

 

ヒッチハイクの旅7・8日目|ヒッチハイク集大成:12時間で京都→神奈川へのとんぼ返り

パピーゴ

いよいよ、最終回。ここまで読んでくださった方ありがとうございます。折角ですので、あとちょっとスクロールお願いします!!

ヒッチハイク7・8日目のmixi日記

「ヒッチハイクの旅7-8thday」2008年8月18日12:44(mixi日記より)

旅の7日目~8日目の模様を更新します。

 

7日目は甲子園の準々決勝の試合を見に行きました。

初めて甲子園行ったんですが、すごくよかった。

やっぱ高校野球は格別です。アツさが違います。

甲子園を第二試合の途中まで見た後は京都に電車で直行。

 

旅の目的である大文字観賞を無事に済ませました。

無事観れてよかったのですが、思った以上の感動はなかったです(笑)

旅の目的を達成したということで、いよいよ旅は終わりです。

 

京都市内の高速道路のパーキングエーリアに侵入しヒッチハイクを開始。

24時を回っていたせいかなかなか捕まらず。結局1時間近くやってまったく手ごたえを感じず、諦めて寝ることにしました。

パーキングエリア内のベンチに寝袋広げ野宿することに。

 

8日目の翌朝7時に起床。目を覚ましヒッチハイクを始めること1時間半、一台のバン車両が停まる。

渡り職人をやっているらしく、福井の方に仕事があるとのことでした。

印象的だったのは茨城県から来ましたといっても、茨城県がどこらへんにあるのか分からなかったらしく、千葉の北で理解してくれたこと。

茨城県の知名度の低さを痛感する。

名古屋方面ではなく北陸道を使うということで、そのジャンクションの一つ手前のPAで降ろしてもらう。

 

下ろしてもらったPAで待つこと40分、その日二台目の車が捕まる。

ドライバーはすでに定年されているおじいさんで、学生時代の貴重なお話が聞けました。

学生時代に学生運動に打ち込んでいたらしく、とりあえず夢中だったとか。

その頃の学生は熱心に社会を良くしようと考えていたらしく、それに比べると今の学生はみんな個人主義に走っているとか。

きっとおじいさんからみると僕のそのように見えていたのでしょう。

 

次は行きでもとまった伊勢湾岸道の湾岸長島PAで下ろしてもらいました。

待つこと一時間、一台のBMWのオープンカーに拾ってもらうことになりました。

ドライバーの方は名古屋近辺で歌手のプロデューサーをしている方らしくて、業界の貴重なお話を聞けました。

あと、近場のパーキングエリアでメシをご馳走になりました。

 

豊田のPAにおろしてもらい、再び車を捕まえようと待っていました。

その時少しショックだったのがPA内の警備の人に声をかけられ、立っている場所がちょっと危ないと注意されてしまった。

あと「君ぱっとみマレーシア人か何かに見えるからみんな警戒して載せてくれないよ」というお言葉を頂きました。

ちょっと凹みつつも待ち続けます。

待つこと一時間、木材を運んでいるトラックに拾ってもらいます。

トラックに乗っていたのは感じの良いおじさんで、二つ先のPAまで乗ってもらいました。

 

次は一気にJR相模線沿いの駅まで行くという人に乗っけてもらうことになりました。

電力会社の送電系のお仕事をされているらしく、いろいろお仕事のお話や世間話をして200キロ近く載せてもらいました。

最後の方はかなり割愛してしまいましたが、こんな感じで最後のヒッチハイクを終えました。

 

駅についてからは電車に乗り、夜の8時までには実家に帰れました。

12時間近くのヒッチハイクで京都から東京まで行けるとは驚きでした。

 

こんな感じで8日間の旅が終わりました。

乗り継いだ車の数は14台。

内訳はトラック3台、乗用車10台、バイク1台。

ヒッチハイクで移動した距離は、約1003キロ。

旅費28000円。

しんどかったけれど満足のいく旅になりました。

以上がヒッチハイクの旅の日記でした。

ここから最後の振り返りをしてみます。

 

7・8日目のヒッチハイクの行程を解説

ヒッチハイク7・8日目の移動ですが、地図に示すと次の通りになります。

7日目は甲子園観戦と京都観光をしました。大阪から甲子園、京都への移動は電車を使いました。

8日目は4台乗せてもらいました。

桂川PAから出発し、草津PA、湾岸長島PA、遠州豊田PAからJR相模原線の社家駅付近までヒッチハイクしました。

社家駅からは電車で町田の実家に帰りました。

 

7・8日目のヒッチハイクの感想を12年後に呼び起こす

ヒッチハイクで乗せていただいた方の中で最も印象的だったのは、伊勢湾長島PA・遠洲豊田PA間でお世話になった音楽プロデューサーの方でした。

まず乗っている車がBMWのオープンカーということでインパクトがありましたが、お話の内容が非日常的で今でもはっきり覚えています。

その当時は若手の育成をしていると仰ってました。プロデューサーの方も昔は音楽の道を志していたようです。あんまり音楽とかわかりませんが、オープンカーで窓を開けて、発声練習を披露してもらいました。

腹の底から出て来る声で、「本物」だと思いました。

これまで教員の方、運送業の方、渡り職人の方、引退されている方、いろんな方の仕事の話を聞きましたが、最も「イメージがしづらい」話でありながら、発見の連続でした。

 

あとは、この旅を経て、だいぶメンタルが強くなった気がします

まず、1・2日目で恥ずかしいのに慣れたと挙げましたが、旅の終わりの時期にはヒッチハイクすることについてなんの心理的抵抗がない境地に達しました。流石に今ヒッチハイクすることになると、そのようにはいかないと思いますが、不思議な感覚です。

次に見知らない人との会話も全く苦ではなくなっていました。旅の終わりには会話のレパートリーも増えました。ヒッチハイクの経験やテレビに出ることなど、話すことに困ることはなくなってました。

 

エピローグ|ヒッチハイクの旅を終えて

パピーゴ

長くなりましたが、旅を終えて次に書いた日記を紹介します

ヒッチハイクの旅を終えてつくばに戻った直後のmixi日記

「旅から戻ると・・・」2008年8月21日16:40(mixi日記より)

10日ぶりにつくばの部屋にもどりました。

ガス停められていました。

しばらく水風呂・水シャワーです。

しばらくの間風呂を提供してくれる心優しい方募集中です。

 

その後ガスの開栓をしたのは1ヶ月後。

それまでは日中にプールに入って、帰って来たら水シャワーで体を洗うという貧乏生活をしていたのを記憶してます。

今となればゾッとします。

ただ当時は、ヒッチハイクでネジが抜けたのか、それとも元々抜けていたのか、なんとも思いませんでした。

 

さいごに

以上、「学生の時に電波少年に憧れて国内ヒッチハイクしたらテレビに出た話」でした。

 

12年前の管理人がモラトリムを謳歌していた学生時代の思い出話です。

当時書いていたmixiの日記を掘り起こし、当時の記憶や今も鮮明に覚えていることをひたすら書いてみました。

 

最後まで読んでいただいて大変恐縮ですが、冒頭で申し上げたとおり、直接お役に立つ情報は何一つ提供できていないと思います。

ただ私の体験したこと、また今回振り返りをして、記事にまとめたことで何かきっかけになれば本当に嬉しいです。

 

この記事を書き終えた今、こんなことを酒の席で聞かれていもいないのに語ってしまうかもしれないことです。

  • 一晩かけて自転車を漕いだりすると、繰り返される自問自答で何か突飛な考えが浮かぶかもしれない。
  • どんな経験も、忘れたり記録がなくなればそれまで。日頃から身の回りで起こったこと、感じたことは日記やITなどを使って記録すると、将来何かの役に立つかもしれない。
  • 昔書いた文章と対話すると当時には無かった新たな発見や当時の記憶が研ぎ澄まされる。またその時抱いた感謝の気持ちが蘇る。そして、大和田常務のセリフ「施されたら施し返す、恩返しです」をやたら使いたくなる今日この頃。
  • 学生さんや時間だけが十分にある方には、ヒッチハイクをおすすめ。金を掛けずに、刺激とメンタルの強化ができる。話のネタとしても有効(地理に絡めるとヒッチハイクの話題に繋げやすい)。

最後までご精読頂きましてありがとうございました!!

あとがき

過去のmixi日記を流用してサクッと書くつもりが、止まらない止まらない。記事を書くのに丸一日かかってしまった。けれど、書き終えてとても爽快な気分です。なんか浄化された感じ。

「読み手を意識した記事」としては完全に不合格かもしれませんが、たまにはこういうのもありかなと思いました。また、読み返して文章のブラッシュアップをしていこうと思います。

2 COMMENTS

電源太郎

初めてコメントさせていただきます。
自分自身の学生時代を思い出しつつ、パピーゴさんの大学時代の刺激的な体験記、大変楽しく読ませていただきました。
旅先で出会った方との会話って、忘れないものですよね^^

これからも記事楽しみにしてます。

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パピーゴ

電源太郎さん
完全自己満足記事にコメント頂いて恐縮です。ありがとうございます!
一期一会、人との出会いや旧友との付き合いなども大切にしなければならないなと思いました。

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